renment

JOURNAL

Interview
2022. 7. 21

【つなげていく人】
鐘と太鼓の音響く徳島。
縫製技術の継承で紡がれる、
想いのリレー。

今回お話を伺った斎川千浪さんは、renmentのTシャツやパーカーを縫製しているKSプランニング徳島工場で、長く縫製の技術を数多くの人に指導してきました。生まれも育ちも生粋の徳島っ子の斎川さんに、徳島の魅力、お仕事をされる上で大切にしていることについて、お話を伺いました。

生まれ育った徳島の暮らし
--斎川さんは、工場がある徳島県のご出身ですか?

はい。生まれた時から徳島県に住んでいます。この工場より少し北の板野町というところで生まれ、結婚してからそちらの近くに家を建てました。娘が山口の大学に行ったので、今は私の母と主人、それと犬1匹で住んでいます。

--生粋の徳島っ子ということですね。是非おいしい食べ物や名所など教えていただきたいです。

有名な場所だと鳴門の渦潮やかずら橋ですかね。食べ物だと鳴門金時芋が有名です。それ以外だと、そば米汁って知ってますか?家庭料理なので飲食店ではあまり見かけないですが、道の駅の食堂とかだったらあるかもしれませんね。作り方は、醤油ベースに鶏肉と人参やしいたけの野菜、こんにゃくにちくわ、最後にそば米を入れて煮て完成です。家庭でも簡単に作れる料理ですよ。

--初めて聞きました。食べてみたいです。

素朴な味わいの徳島の郷土料理ですね。まあ、なんだかんだ言っても徳島といったら、やっぱり阿波おどりですね。空港の名前も徳島阿波おどり空港というくらいですから。時節柄、残念ながら阿波おどりは開催されなくなってしまいましたが、いつも夏になったら徳島駅の駅前で賑やかにしていますよ。私も小さいころは飛び入りで参加して踊っていました。

--阿波おどりは、飛び入りで踊れるものなんですか?

海外からの観光客の人なども飛び入りで参加して踊れるレーンもあるので、そういったところで参加していました。徳島人は鐘の音や太鼓の音を聞いていると自然と踊れるようになっとんですよね。小さいころからテレビで見ていたり、運動会で踊っていたりしていますから、自然と体が動くんですよ。
教えることの難しさ
--斉川さんがこちらの工場で働くことになったきっかけを教えてください。

高校卒業と同時にこの工場に入社しました。きっかけは就職する時に同級生の友達がおったんですけど、その子は縫い物が得意で手先が器用だったので、縫製の仕事に就くということを聞いて。じゃあ、その子が行くんだったら自分も行く!という感じの単純な理由だったんです。それと、この工場は昔から子供服を多く扱っているんですけど、子供服ってTシャツとかスカートとか色々な種類があってカラフルでとても可愛いんですよね。この工場では裁断から縫製までやって、最終的に可愛い製品が出来上がっていくところまで携われる。それがとても魅力に感じたんです。

--今はどのようなお仕事を担当されているのですか?

縫製担当で、現場でオペレーター(実際に製品を縫う人)の技術指導をしています。オペレーターは現在13人で、年齢は二十歳から一番上の人で59歳の人で幅広くいますね。技術指導ができる他の人にも手伝ってもらいながら、みんなを指導してまわっています。簡単なところは5年目などで技術習得しているオペレーターに託して代わり教えてもらったりして、自分は主に新入生や中途で新しく入ってきた人に教えています。技術指導をするようになったのは二十歳くらいから少しづつなんですが、30歳のちょっと前くらいから管理職という立場で指導をするようになりました。高校を卒業してからはここ一本で長く務めているので、どんなミシンがどこに何台あるかとか、この工場の事はほとんどの事が分かりますね。

--年齢層が幅広いのでコミュニケーションをとるのが大変そうですね。

私と年代が同じくらいの人とは話が通じやすいですが、自分と娘と同じくらいの歳の人には言葉とかも選ばないとうまく伝わらなかったりします。メリハリをつけて技術指導をしなくてはいけないので、そういう所では苦労していますね。また、指導する立場というだけで少し怖がれるところもあるので、何かあって困った時は相談したり話かけやすいように、できるかぎりニコニコしているように心がけています。実は自分も最初は人見知りで話すのが苦手だったのですが、それでもやっぱり年を重ねるうちに話していかないといけない立場になったので、自分なりにそうしていかなあかんという気持ちでがんばっています。
--お仕事をされる際、大切にしていることはありますか?

いつも効率よく技術指導して、売上をあげることを考えています。やはりそこがずっと課題ですね。実際の数字として出てきたものはごまかしがきかないので。1日にこれだけしかできなかったでは困るし、一秒は一秒、一分は一分、時間は取り戻せないからシビアに教えていかないとですね。昨日より今日、今日より明日と一枚でも多く縫えるようにすることが私の役目なので、指導する立場としてできるだけ早く習得してもらえるように、私も考えて教えていく事が大事だと思っています。

--指導にあたって心がけていることは何ですか?

新しく入った子にも早く先輩と同じ技術を習得してもらうために、その子の癖とかで教え方を変えたり、何がその子に向いているかを見極めて、習得した技術がさらに伸びると感じたら他の担当へと変えたりと、いろいろ考えますね。ミシンで縫う時の手付きも、教わる側が見やすいように気を付けたり。あと、私は右利きなので、左利きの人に指導するときは難しいですね。そうやって一人一人、その人の縫い方をよく見て、その人が縫いやすいように工夫をしながら技術指導をしています。ですから、前に一度に新しい子が5人も6人も入ってきたときは大変でした。一対一ならいいですが、全員平等に見ないといけないですからね。ひとりづつに個性があるように、ミシン自体にも一台一台に癖があって同じ機種でも扱いが違ってきます。特に私が入ってくる前からある古いミシンは、押さえ金やアタッチメントを生地の厚さに合わせて削ったりして調整していて癖がついていたりしてますので、人が多いときは古いミシンでも使わないといけなくて、同じように調整してもらっても癖があるから、オペレーターから「縫いづらい」という声も上がってきますね。そういう時はモーターやペダルを変えたり、手の持ってき方で調整して使ってもらっています。
--工夫されながら、一人一人に合わせた技術指導をされているのですね。

指導している子が今までできなかった技術ができるようになってきたときは、教えててよかったなぁと感じますし、教えた技術で「やりやすい」と言われたらやっぱり嬉しいですね。高校から卒業したてで初めて働く新しい子は、まだ幼いので1ヶ月、2ヶ月、そして半年と少しづつ成長している姿が身近で感じられる事が喜びですね。
大切にされる服とは
--服作りに対する想いやエピソードなどお聞かせください。

この工場で作った製品の話ではないんですけど……娘が小さい時には、よくスカートなどを縫ってあげて履かせていました。ぴったり合うように採寸してワンピースをオーダーメイドで作ってあげたりしました。他の子と違う特別な服を着せてあげられたのは、この仕事をやっていて良かったなと。娘も、誰が縫ったの?と聞かれて「お母さんが縫ったの」と答えられて鼻が高かったみたいです。それに、仲の良かった友達の子供も女の子だったので、お下がりをあげたりしていました。私が縫った服をその子が着ているのを見て、もう一度嬉しくなりましたね。そうして、たまたま他の友達の子供も女の子が多かったので、作った洋服は全部あげてしまいました。手元には一枚も残っていませんが、そうやって代々リレーのようにして長く着てもらえて良かったです。
--服がバトンタッチされていくリレーは、すごく素敵ですね。

同じように、ここ徳島工場に昔からある社訓には「心がこもった物づくり」という言葉があります。作っている製品はオーダーメイドではないけれど、その中の1枚はひとりのお客様しか買えないものだから、少しでも長く着てもらえるように、一枚一枚こだわって慎重に縫ってもらっています。

--大切に長く着てもらえた方が作り手としては作りがいがありますね。

この徳島工場で作っているものは心を込めて良いものを作っているので、すぐに捨ててしまうとかではなく、色々な形で長く着てもらえたら本当に嬉しいですね。

--本日は、ありがとうございました。

(おわり)
——Profile

斎川 千浪 Chinami Saikawa

高校卒業後、KSプランニング徳島工場に入社。工場を誰よりも良く知り、現在は縫製現場の生産主任として、オペレーターの技術指導を担当。

(株)KSプランニング 徳島工場
徳島県藍住町。主にカットソーから子供服、ベビー服まで”Made In Japan”のクオリティで安心・安全で丁寧な縫製を得意とする。

renment journal vol. 006
【つなげていく人】聞こえてくる鐘や太鼓の音。教えることの難しさ、徳島でづつく想いのリレー。

Date: 01.9.2021
Interviewer: Yuki Shimizu
Text: Yuki Shimizu&Shinji Kobayashi
Photo: Daisuke Mizushima
Special Thanks: KS Planning Co., Ltd. Tokushima factory All Staff


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