renment

JOURNAL

Interview
2022. 7. 21

【つなげていく人】博物館級の旧式機械で生地を織り上げる鈴木利幸織布工場のモノづくりのポリシーとは…

静岡県 浜松市を含む遠州地域は古くから綿織物が盛んで「繊維のまち」といわれ、今でも他にはない特徴的な織物をつくる工場が多く残っています。その土地で技術や経験を活かして、敢えて旧式の機械を使い、生産性にこだわらない上質な織物をつくり続けている鈴木利幸織布工場の鈴木利幸社長 。どのようなこだわりや想いを持って仕事を続けてこられたかを実際に工場を訪問してお話をお伺いしてきました。

夫婦二人、半世紀前の織機と共に
――はじめに、工場のなりたちをお伺いしてもいいですか?

当初は別の浜松の織物工場で働き始めました。ですが、工場が1年で閉鎖されてしまったので、また別工場で4年ほど奉公をやってからこの場所で、今と変わらない大きさで工場を始めました。その時が昭和50年ですので、今年で創業46年になりますね。元々実家が糸に糊をつける仕事をやっていたり、母親も糸を綛(かせ)から管に巻く仕事「管巻き」をやったりと、いつも身近に糸がありました。私が小学校6年生の時に父親が亡くなってしまい、母親のやっていた管巻きでは食べるのも苦労していたので、少しでも儲かる着物の小幅織物を始め、気づいたらこの糸の世界に入っていたという感じですね。独立しようと思ったのも自然の流れかと思います。つい最近までは私の叔父から紹介してもらった仕事を多くやらせていただいていて、その会社が無くなる最後の最後まで私が残って仕事をやらせてもらっていましたね。
――工場には何台も織り機がありましたが、他の従業員の方は何名くらいいらっしゃるのですか?

昔からとーちゃん、かーちゃんの二人で。ずーっと。

――お二人だけで、これだけの機械を動かすのは大変そうですね。特に工場には古い織機や機械が多くあるようでしたが、どのくらい古いものがあるのですか?

別の会社で使っていた織機も中古で持ってきていますので、モノによっては50年以上経っているでしょうね。ここにしか残っていない機械などもあると思うね。型式はトヨダG3 という、TOYOTA の昔の会社名のものを使っていたりしますよ。なんせ昔の機械なので、整備や故障など心配をしていますが、何とかやっていけてますね。ここには4台のトヨダのシャトル織機(*1)が残っています。昔は同じものが全部で10台ありましたが、20年位前に時代の流れで6台はレピア織機(*2)というものに替えました。普通のレピア機とは違って、坂本式織機100T を元にした「改造レピア機」というものを導入しています。専門的に言うと、本来シャトル織機である坂本式織機のコップチェンジ(*3)部分を改造して、両側から糸の受け渡し装置が出るようにしてレピア織機に改造したものですね。

(*1)シャトルと呼ばれる道具を経糸の間に通すことで緯糸を打ち込み、生地を織りあげる機械。(*2)シャトルを用いず、レピアと呼ばれる糸の受け渡し装置を用いて緯糸を打ち込み、生地を織りあげる機械。(*3)シャトルの中の糸巻きの糸が無くなった時、糸巻きを交換すること。

――一部は博物館級のものもあるんですね。それほど古い機械をお使いになる理由はなんでしょうか?

生地に凄い特徴がありましてね。このトヨダG3っていう織機を使うと、織物が凄く柔らかく仕上がるんですよ。津田駒製など他のメーカーの機械は生地が「ピンッ!」と立つので、それはそれでいい生地なのですが、うちにある古い機械で織ると「フニャッ」とする。たとえ生地の組織が同じで、工程も設定も同じようにやっても、触れば違いがすぐに分かる。この独特の柔らかさがこの織機の特徴なんです。自分は昔から他とは違う少し変わった物が好きなんですよ。先ほど言った改造レピア機を導入する時にも、当時色々と他の機種などの誘惑があったんですが、やっぱりこっちの方が面白い魅力があって、結局改造レピア機を導入する事にしたんだよね。改造、つまり昔の機械は自分で手を加えられる世界だからいいんだよ。最新鋭だとコンピューター制御になっていて細かいところまで手が出せないでしょう?

――なるほど。手を加えられるところが、あえて古い機械を使う理由なのですね。
古い機械を使い続けるということ
――織機を動かしている時は、どのような事に気を付けていますか?

ボタン押したらずっと動いてるわけじゃないから、そのまま動かして放置していくわけにはいかないんだよね。例えば、機械はボルトで留まっているけど、動いてる間に必ずボルトが緩むからね。機械が動くガチャンガチャンという振動で少しずつ部品がすり減ってしまうこともあるしね。常に大丈夫かな?って確認している。以前、一週間くらい旅行に行ったことあったんだけど、その時にはかーちゃんに機械の運転を任せたんだ。当然、行く前にはボルトを締めていったんだけど、帰ってきて確認したら見事に緩んでた。古い機械って、そういう所が難しい。だから管理。やっぱり管理が大切だね。

――目が離せないのは大変ですね。他に工夫をされている事はありますか?

糸にあわせて機械を調整することだね。糸が違うと織れ方が全然違う。ただ入ってきた糸を機械にかけるだけじゃあ満足できない織れ方になるので、開口の閉じるタイミングを変えたり、口開きの幅を大きくしたり小さくしたり、機械をあっちこっちいじってる。それは毎回毎回織物に合わせて調整していますよ。たくさんいじる部分があるし、やり方も色々とあってね。そりゃ苦労して、ままならないときもあるよ。でもただ「出来ない、出来ない」と言ってるだけじゃなく「何とかしたい」といって機械をいじる。その結果が経験になる。かえっていじりすぎて失敗する事もあるけど、それも一つの経験だからね。それをあえてやる人になりたいね。

――今まで積み重ねた経験があるからこそ、素晴らしい織布を作れるのですね。

それでも、同じ事やっているつもりでも色んな問題が起こるから、なかなか100%上手くはいかないね。古い機械を使ってやっていくのは、大変だけどそれ以上のやりがいや面白さもあるかな。

――なるほど。鈴木さんの織布や織機に対する想いが伝わってきました。
遠州のモノづくり精神
――鈴木さんを始め、遠州の産地にはそういった細かい工夫をされる方が多くいらっしゃる印象があります。遠州の産地ならではの土地柄なのでしょうか?

この土地は、昔から会社組織って多くないんです。個人で工夫してやってる人が多くて、機械いじるのが好きな人が長くやってるような。そういう人が遠州には多いんです。会社組織の中でできる事は限られちゃうから、特徴のある生地など、他にはない織物ができやすい。そういう部分はあると思います。まあ、好きで色々な事をやっているだけじゃ儲からないんだけどね(笑)。

――私たちのrenmentプロジェクトも「この先の100年を考える」ことから始まっています。このような想いや技術はこれからもしっかりと残していきたいです。

この土地でこのような仕事をしている人のほとんどが私らの世代です。少し下の世代の人もいないわけじゃないけど…ぽつんと若い人がいても40代くらいで、若い子は本当に少ないね。これからのことを考えると、人がいなきゃ産業自体がおぼつかない。本当に若い子でやりたいって子が出てくりゃいいけどさ、なかなかいないね。おかげ様で二人はまだ元気だけど…後継者がいないよね。どうしても若い人には給与の水準とかも必要でしょうし…
――若い人には工場を見てもらって「あの人が想いを込めてやってるから、この製品ができるんだ」という事を実感する機会を設けてもいいかもしれませんね。

工程だけみたら面倒くさいことが8割、9割で、やりたがる人は少ないかもしれないけど、色々と自分で工夫して考えれば良いものができるっていう事を知ってもらえれば良いね。最初から面白い仕事なんてないし、義務でやらされているだけの事なんて、どんな仕事でも面白くないよね。面白い仕事をするではなくて、仕事を面白くする。それが大事だと思うよ。

――最後に鈴木さんの仕事を象徴するようなお言葉をいただけました。今回はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

(おわり)
——Profile

鈴木 利幸 Toshiyuki Suzuki
(鈴木利幸織布工場 社長)

静岡県浜松市生まれ。昭和50年、自宅敷地内に織布工場を構え、以来夫婦2人で10台の旧式織機を扱う。今回、renmentでは旧式織機でしか出せない独特の風合いを求め、海島綿を用いたブロード生地を製織いただいた。

renment journal vol. 007
【つなげていく人】
博物館級の旧式機械で生地を織り上げる鈴木利幸織布工場のモノづくりのポリシーとは

Date: 22.09.2021
Interviewer: Yuki Shimizu
Text: Yuki Shimizu&Shinji Kobayashi
Photo: Shinji Kobayashi


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